9月23日、秋分の日。
冷房をかけずとも、ようやく眠れる日が来てくれた。
これで当分は、外出するだけで命の危機にさらされる日々とおさらばできるだろう。
ベッドの中からのそのそ起き上がると、予定を確認。
何もなし。
休日で、気温もよい。ならば、と、ずっと気になっていた場所に行くことに。
行き先は、上野の国立西洋美術館。
今週末まで、スウェーデン国立美術館の素描コレクションを展示している。
興味はあったものの、あまりに暑すぎて外出の気力がなく、諦めていたものだった。
ちょうど、近くの上野の森美術館で新しい企画展『正倉院 THE SHOW』が始まったばかりで、お客さんが分散したのだろうか。休日の割には、すんなりと入ることができた。
私は昔から、絵を描くのがとにかく苦手だ。
中学、高校時代はよく、数学の宿題を請け負う代わりに美術の課題をお願いしたものだ。その代償だろうか。
正直、どんなすごい絵や彫刻を見ても、「へー、すごーい」しか感想が浮かばない。
記者時代、取材相手の応接室とかにご立派な絵が飾ってあっても、「額縁がすっごいキンピカ!」くらいの感想しか浮かばなかったものだ(感想以前に、見たままだが)。
だが、感想を求められない、気ままな鑑賞なら悪くない。
…時々、芸術はバクハツすぎて分からないことも多いけど。
今回見たのは、ルネサンスからバロックまでに描かれた素描の数々。
そもそも『素描』とは…
「木炭やチョーク、ペンなどを用いて対象の輪郭、質感、明暗などを表現した、線描中心の平面作品のことを指し、デッサン、ドローイングとも言います。素描の制作目的は、絵画や彫刻などの構想を練ったり、下絵を作ったり、完成作品の記録をしたり…と、さまざまです。」(公式HP)とのこと。
「要はメモ帳に走り書きするようなやつね」と理解していた私。

1620年「アランデル伯爵の家臣、ロビン」ペーテル・パウル・ルーベンス
「すごっ」
この少年はのちに、「アランデル伯爵夫人、アラタイアタルボットの肖像」の右下にちょこんと登場するわけだが、やはりプロの下書きはレベルが違う。
どうしたら、こんなに服の立体感とか、柔らかさとかが伝わる絵が描けるのやら…
絵心ゼロの私からしてみれば、本格的な色付けもされてない絵で、”へのへのもへじ”のように皆同じ顔にならないのが不思議で仕方がない。
それからもう一つ、私の記憶に強く残ったのは、こちらの絵。

?年「下から見た若い男性の頭部」ハンス・バルドゥング・グリーン
…ちょっと、いや、かなり怖い。
これは、恍惚とした表情と受け取るべき?それとも憑りつかれている人?
この絵は、1516年の「ノアの洪水/大洪水」に関連した下絵ではないかと言われているらしい(確証はないようだ)。
確かに、洪水の絵(リンク先)の方では、それっぽい人たちが溺れながら、苦しそうに(恨めしそうに?)空を見上げている。
でも、下絵(写真)の方は水に溺れて苦しんでいるようには見えない気が…
結局、表情だけではどんな状況で、一体何を伝えたいかが伝わらないから、背景や服装にも作者は意図を込めるのだろう。
人物画を鑑賞するときは、目の行きやすい顔だけでなく、全体を見なければいけないのだと、納得した絵だった。
なんでも、美大に通う知り合い曰く、展覧会の絵は、配置順や置き方にも気を配られているらしい。カテゴリー別(年代別とか国別)くらいしか分からない私にとっては、美術を理解するまで、とても長い道のりだ。
満足した私は、お土産にポストカードを買って(展覧会に行く度に買っている)、ついでにポーチも購入。
帰り道で見つけたスープカレーを食べながら、「さて、次はどの展覧会に行こうか」と思案。
ちょうど始まった正倉院展を見て、引き続き、真面目な気分になるのもいいし、10月から始まる池袋の「炎上展」も面白そうだ。
「(ネットの)炎上をテーマにした“日本初”の体験型展示イベント」だという…
体験型?!とはなるが、ぜひ覗いてみたい。
記者時代、”炎上”とまではいかなくても、読者からの”強気の意見”はよく頂戴したものだ(直接届かなくても、SNS等で書かれていたこともあった)。やはり書き手としては、結構ビビるものだ。
この機会に勉強しておくのもいいだろう。
どんな形で、また”炎上”に立ち会うか分からない。
さて、次の休みは何をしようか。
Money is something we cannot live without. Without it, life itself cannot be sustained. That is why people work so desperately—and I am no exception. As long as I have breath, I must continue to earn. Yet, no amount of earnings alone can guarantee happiness. Something more is needed—a delicate art of happiness. This is not a truth spoken only by the French philosopher Alain. Through literature and art, the voices of those who lived before us continue to whisper across time, reaching us even today.

コメントを残す