もやもや愚痴の日

今日のお昼、前の職場の人を誘って久しぶりにランチに行ってきた。

退職してから2か月ぶりに連絡したというのに、明るく迎えてくれて、とても感謝している。

無事に転職できたことを報告し、互いの近況を話していた。明るい雰囲気だったが、内容は暗かった。

私がいた部署は、この数か月でずいぶんと人が辞めてしまったらしい。

記者という職業は、長く続けることはとても難しい。

ノルマがあり、常に締切りに追われている。勉強しなければ、そもそも記事のネタも浮かばない。自分の人脈は広げつつ、維持していかなければならない。大方の記者は、仕事とプライベートの差はないのではないだろうか。

その上、情報があふれたこの社会で、果たして新聞や雑誌は必要なのか?質問があればAIが即座に答えてくれる時代だ。

決して安くないお金と時間をかけてもらえるだけの、あふれる情報よりもさらに格上の情報を提供しなければならないというプレッシャーは、記者の体力も精神も消耗していく。

私は、もともと記者になりたくて記者になったわけではなかった。

たまたま会計や経営学を勉強しており、これを生かした仕事がしたいと望んだら、「誰にでもわかりやすく、読みやすく説明できる」記者職に行き着いた。記者時代の私の目標でもある。

なんだかんだ、記者という仕事は結構楽しかった。

興味があればどんどん調べられる。著名人に「取材したい」と言って、会いに行くこともできた。勉強すれば、相手もそれを認めてくれて、どんどん会話が盛り上がるのを感じた。その結果できた記事は紛れもなく、成長した自分の”成果”だった。

でも、5年経った時、記者を辞めた。

トリガーになったのは体調不良。

気づかない間に無理をしていたらしい。ちょっと風邪を引いたかなと思ったら、それが治らなくなってしまった。

体がだるいまま仕事をしていても、何も捗らない。次第に、時間的にも、精神的にも、締切りに追われるようになり、遂には仕事がつまらなくなった。

私のように体調不良を理由に辞める人は多いが、人間関係で辞める人もいた。

記者は記事を書いて成果となる。しかし、当然デスク(上司)のチェックが必要だ。

記者の仕事には正解がない以上、デスクと意見が割れることだってよくある話。自分の記事にプライドを持っている以上、どうしても引き下がれないときはある。結局、記者は続けるが、会社は辞めてしまった。

記者だけでなく、デスクも辞めてしまったらしい。

情報があふれるこの社会で、新聞や雑誌、出版業界の売り上げは軒並み右肩下がり。

その上、記者は辞めていく。紙代は上がり、郵送費もかさんでいく。

これらの責任が、経営者ではなく、デスクに転嫁されるという理不尽な出来事もあったようだ。

記者も結局は会社員。どうしても、もやもやしてしまう話だ。

それからもう一つ。転職の時の話。

転職時、私はすごく迷った。というのも、➀記者を継続するか、②未経験の分野に飛び込むかの選択を迫られるわけだ。

②では、記者として知識は山ほど蓄えていたとしても、結局未経験なので、給与が大幅に下がってしまう。当時は自分の給料が高いと認識しておらず、結構驚いたポイントだった。

給与面だけでなく、どの分野が自分に向いているかもわからなかった。

記者は、書くのが仕事だ。だから、毎日のように書き続けていた。だが、これが生きる仕事はどれほどあるのか。

記者の転職先の多くは、➀記者を続けるか、②広報などの分野(リリース文の作成や記者会見に知見があるため)、③これまでの知識を生かして専門を極めるタイプが多いらしい。

なるほど。確かに②の広報へ転職した話はよく聞く。

だが、結局は未経験だ。20代ならまだしも、30代後半や40代以降の転職は可能なのだろうか。

記者という仕事は楽しかったが、正直、気が休まらず辛かった。きっと、どのみち長くは続けられなかっただろう。そう考えると、30代になる手前で転職した私の選択は、間違っていなかったと思う。

でも、もしも、体調を崩さず、記者を続けていたら…

一体どんな人生だったのだろう。

記者だった人、記者である人、これから記者になる人へ、どうか幸せな人生を歩んでほしいと心から願う。

“To be, or not to be.”
To “live,” and struggle along the chosen path; or to “die,” and sever the knot of suffering once and for all. Yet the life not chosen seems always to linger just behind me, like a shadow I cannot touch. There is no turning back. And in the end, I do not even know whether, in that decisive moment, I chose to live—or whether I chose, in some hidden way, to die.

What would Hamlet say, looking upon me now?

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