いつからだろう。
“死んではいけない理由”を考えながら日々を過ごすようになったのは。
どうして、”ただ生きること”が、こんなにも苦しくて、こんなにも大変なんだろう。
ほとんど何も入っていないはずのカバンが重くて仕方がない。
痛い。苦しい。きつい。しんどい。辛い。
いっそ、今夜寝たら、もう二度と目覚めなければいいのに。
そんなことを考えていると、頭の中でいろんな声が聞こえてくる。
「君が死にたいと思う今日は、誰かが生きたいと願った明日なんだ」
(なら喜んでくれてやるよ、私の明日を)
「自分だけが辛いと思うな。みんな苦しくて辛いけど、頑張っているんだ」
(頑張れない私は、クズか、それ以下か)
「止まない雨はないよ。いつかきっと、晴れるから」
(今が辛いと言ってんだ。晴れるまで待てる体力なんて、もうないよ)
頭の中で、誰かと誰かが言い争っている。
頼むから、静かにしてほしい。
ふと冬音は、自分の足音が聞こえないことに気が付いた。コツコツというヒールの音が聞こえない。
不審に思って顔を上げると、目の前に広がるのは暗い海だった。
月明かりがなければ、きっと気づかなかっただろう。砂浜に入る手前で、海を見下ろせる場所にいた。
だが、自分は家に向かっていたはずだ。ここは知らない場所。
様子がおかしい。
そもそも、目の前は海だというのに何も感じない。海風も波音も、周囲の喧騒すら、何も聞こえない。潮の匂いもない。
ぼんやりと海を見下ろすと、波打ち際には月明かりに照らされた長い黒髪の女がいた。
白いワンピースで海に向かう様子は、まさに入水自殺に向かうよう。
彼女以外、周囲には誰もいない。
異様な光景だ。それなのに、何も感じない。
音も、色も、匂いも、自分の感情すらも分からない。
体も動かせなかった。心臓の音も、手は震えているのか、汗をかいているのかすら分からない。
けれど、何もかもが、どうでもよかった。
ただ、白い月明かりと、黒い海。
女はゆっくりと、こちらを振り返る。
冬音は、静かに微笑んでいた。